最近あなたの暮らしはどう

都内の女子大生の独り言。SNSからすこし離れたところで日記が書きたい。

ブログ開設に宛てて: ネットストーカーは今日も踊る

 数年ぶりに個人ブログをひっそりと開くことにした。ここに至る経緯はというと、twitterにあまりにも没頭しすぎたから、端的に言えばツイ廃になりかけていたからに他ならない。長期休みで暇を持て余した大学生の成れの果てである。そもそもはてなを選んだのも「ツイッタラーがよく使っている気がするクライアントだから」というあちゃーなものである。あちゃー。痛い。はてな村には、はてブとかいう自分で書いた記事がたまたま町奉行の目に留まると村中轢き回しにされ、メンションがたくさん飛んでくる怖い制度があるらしいこともちゃんと知っていたのに。

 

 tumblrでも良かったのだがそのうち好みのGIFをリブログして垂れ流すだけのページになりそうでやめた。tumblrの醍醐味はフォローしていない他人の画像でも長文テキストでもタイムラインにわんさか流れてくる、その超カジュアルなリブログ、つまり共有姿勢にあるとは思うけど、日記と日記の間に犬猫やら、ラリってる歌手のお下劣なGIFやらが華を添えるのはいただけなかった。

 

 そもそも私がなぜツイ廃に片足を突っ込んでいたかという話である。私はツイッターで本アカウント、裏アカウント、大学のサークル名義のアカウント、それから自分の恋人をネットストーキングするための捨てアカウントを持っていた。現在も持っている。特筆すべきはおそらく4つめだ。

 

 ここで一応断っておくが、かの有名な精神相談サイトのように、「私の言う恋人とは想像上の存在」なのではない。一応は実存している。安心である。何がだ。

 

 私の恋人は、上記の私よろしくいくつかのtwitterアカウントをもっており、そのうちの幾つかは鍵垢であった。つまりフォロー許可を得ないとツイートが閲覧できない。フォロー申請してきたアカウントの持ち主が私だと分かれば当然許可はしないであろう。素性を明かさずしてフォロワーの中に潜り込まねばならない。私は恋人のハマっているアプリゲームのユーザーを装って潜入した。まずそのアプリゲームのユーザーを検索して十数人フォローしてから、通りがかった偶然を装ってフォロー申請する。わずか数分でフォロー許可され、ああ簡単だなと思ったことは否めない。不自然だと思われないように、フォロー許可されたばかりの恋人のアカウントのフォロイーからさらに何人か同じゲームのプレイヤーを見繕ってフォローしておく。

 

 恋人は日常生活の思いつきを驚くほど多くtwitterに投稿していた。好きな酒、所属するサークルの出来事、愚痴そして愚痴。あまり思いつめたところを言わない人だったので、つい追うことが増えた。twitterのbio欄にはブログのURLが貼ってあったのでそれもチェックした。twitterアカウントのidでGoogle検索をかけたらidを使いまわしていたらしく、同じidを使った大学入学以前のブログを2つ発見した。(ここまで来るとほとんど墓荒らしに近い。私の高校時代のブログなど現在の知り合いの誰かに見られたら隠遁生活を始めるか半分本気で考えるだろう。幸いその頃はガラケーでも作れる無料ブログサービス、一昔前に流行ったような『リアルタイム』が作れるような代物を使っていたので、PCや現在主流になったスマホからの検索では閲覧が難しかったし、大学入学後に放置したために早々にインターネットの藻屑になり、長期間ログインがないという理由で規約に引っ掛かって消えてしまった。)

 

 恋人はmixiには本名で登録していたので、出身高校名から辿ることができた。むしろ自分のmixiアカウントのパスワードを忘れていたので、そっちを思い出すのに難儀した程度だった。facebookだけは見つからなかったが、どうも実名では登録していないらしいという話をなにかの折に本人から聞いてそれ以上の探索を諦めた。

 

 私は何がしたかったのか。twitterにはまった話から恋人をネットストーキングしている話に横滑りしている気がしないでもないが、つまりtwitterでさまざまな界隈の人をフォローし、星をつけたり、リムーブしたりブロックされたりしてる間にそういえば恋人の日常も自分のアカウントも含め便所の落書きの巨大集積場みたいなマイクロブログサービスから得られるかもと思っていたのだ。

 

 ここで「恋人の日常の情報」を得られるのかもしれない、と思ったのが問題なのである。この話にはネットストーキングによって浮気が発覚したとかそういう他人からみて面白いオチはついていない。恋人とは現在も交際中である。エゴ全開の話で書いてるそばから恥ずかしくなるが、ネットストーキングによって得られるであろう情報が欲しい情報かどうか、つまり私にとって快か不快かはわからないのである。当たり前だ。例えば「その日は就活で忙しい」という理由で遊びの誘いを断られた日に別の人物と日がな一日、行楽に興じているかもしれない。今日にも別れを考えているかもしれない。(これは実際に一回あった。)ただでさえ拙い、二十代前半のしがない学生の交際に新たな火種が投下される。

 

 私の知りえなかった情報に困惑する。他人の日常を垣間見れる、そして同じ場所に自分の思想とも独り言ともつかないボヤキを無差別に撒き散らしてもいいと一瞬でも考えた自身にうんざりする。自分の個人的な思考を記録し、食べたものを写真にとって逐一他人に晒してもいいと思えるようくらい、自己が、自己愛が肥大していくあの感覚は醜いと、時折感じる。

 

 よくよく話を訊くと、恋人はfacebookに実名で登録してはいないが、偽名のものを持っていて元恋人のホームを覗いたりしているらしい。結局似た者同士だ。

 

 私は恋人のことがすきだ。けれどもインターネットを1日20分しかやらない人種はもっとすきだと思う。